1660年頃、【オー・ブリオン】のワインがイギリスにおいて“ニューフレンチクラレット”と呼ばれて人気を博したことを発端に、一つの均質な原産地を起源とする新しいタイプのワインが生まれた。
その成功を目の当たりにしたボルドーのブルジョワ達は、当時ライ麦しか栽培できなかった酸性の土地であるメドック地区に目を向ける。この痩せた土地が、良いワインを作るためのブドウに適しているということが分かったのだ。
そうした新参者に交じって、グリュオー神父はサンジュリアン村に70haの土地を手に入れ、ワイン作りを開始する。1742年、著名なワイン商であったアブラハム・ロートンが、すでにこのワインの熟成の素晴らしさについて言及している。この当時はまだ、現在のグリュオー・ラローズという名前ではなく、この名前が使われたのは1781年、グリュオーのワインの取引がされるようになってから50年以上も経ってからのことだった。
その後、グリュオー神父の甥の騎士ラローズが後を継ぎ、シャトーの名声を保つために厳格な方針を堅持した。1795年に彼が死去すると後継者問題が発生し、1812年になってようやくワイン商のサルジェ・バルゲリー社が買い取った。しかし、共同経営者間の揉め事によって、所有地は「グリュオー・ラローズ・サルジェ」と「グリュオー・ラローズ・フォール」の二つに分割されてしまった。
しかし、ワインの品質は厳格に管理されていたため、有名な1855年の格付けでは、どちらも2級に格付けされている。
1917年から一方のシャトーを所有していたコルディエは、長年二つの土地の再統合を願っており、1935年にようやくもう一つのグリュオーを買い取り、再統合がなされた。彼の死後、息子のジャンが跡を継いだが、金融グループのスエズ社などの所有者を経て、1997年からはワイン界で有名なベルナール・タイヤン社が所有者となっている。