シャトーの発展の基礎を築いたのは、ボルドーの財政部長だったジャン・ドゥ・モワティエだった。後に彼の娘ジャンヌ・ドゥ・モワティエへと相続され、1722年、彼女の結婚によって、レオヴィル領主でボルドー議会モルティエの委員長であったブレーズ・ドゥ・ガスクが管理を行うようになる。しかし、彼はレオヴィルのワインを世に知らせることに苦心し続けた。1766年、ジャンヌ・ドゥ・モワティエは亡くなり、子供がいなかったため、遺産は甥や姪に渡った。
フランス革命時、その遺産を相続していた少将ピエール・ジャン・ドゥ・ラスカーズは、レオヴィルの畑の1/4を、売却することを余儀なくされた。その後、長子相続法の廃止によって、残る3/4の土地は彼と妹のジャンヌとに分けられた。
この2つの分割が、他のレオヴィルである【レオヴィル・バルトン】と【レオヴィル・ポワフェレ】が誕生するきっかけとなった。
1900年、現所有者のジャン・ウベール・ドゥロンと妹ジュヌヴィエーヴ・ダルトンの曽祖父であるテオフィル・スカウィンスキが会社の資本を購入し、経営管理を行う。その後、代変わりをしながら、現在はジャン・ウベール・ドゥロンが管理を行っている。
また、「クロ・デュ・マルキ」という銘柄は、19世紀末にテオフィル・スカウィンスキによって作られた。仲買人の伝票によると20世紀初頭から定期的にこのワインが取引されていたことが分かる。
このワインはラス・カーズ侯爵の住居、シャトー・レオヴィルに隣接した小さい囲いをした丘で造られたブドウによるものだった。これはそれまでは存在しなかった“セカンドワイン”という概念の先取りであり、1980年頃からより発展し、広まっていった。