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トップ > メドック地区 第2級のビンテージワイン > シャトー・コス・デストゥルネル[シャトーの歴史]
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シャトーの歴史 |
ルイ15世支配下の1762年に生まれ、1853年、ナポレオン3世の支配下に、92歳で亡くなったルイ・ガスパール・デストゥルネルは、シャトーに対する熱い情熱を傾けた人物だった。
当時「コス」と呼ばれていた地域のいくつかのブドウ畑を相続した彼は、1811年、ワインの質を見分け、アルコール発酵を別々にすることに決めた。すぐに彼のワインは最高級のワイン以上の評判となる。
後に、インドへのワイン輸出で成功を収めた彼は、“サンテステフのマハラジャ”と呼ばれるようになった。彼のインドで業績成功を祝って、貯蔵庫の上にエキゾチックなパゴダを建て、絢爛たるパーティを催し、著名人たちに貴重なインド戻りのワインを贈ったのだ。
しかし、1852年、敷地を拡大したり美しく飾り立てるめに多額の負債を抱えてしまったため、ルイはシャトーをロンドンの銀行家マルティンスへ売却することになった。新しいオーナーから、ルイが愛したこの地に引き続き住むことを許されたのだが、1853年に死去。そのわずか2年後の1855年に開催された格付けで、彼が育てたシャトーがサンテステフの最上位とされるという朗報を聞くことは出来なかった。
1869年、マルティンスは、シャトーをスペイン出身の貴族エラーズ家に譲り、1889年にはオスタン兄弟が所有するようになる。
1917年、シャトーはボルドーの著名な仲買人フェルナンド・ジネステが購入された。彼の孫たちジョン・マリー、イヴ、ブルーノのプラッツ兄弟が相続して、長い間、彼らの下で運営を続けた。
1998年、プラッツ兄弟は、シャトーをメルロー家とその共同出資者のアルゼンチン人アンジェル・モヤノに売却。2000年には、現所有者であるミッシェル・レビエに売却された。フェルナンド・ジネステの曾孫で、1970−1998年まで総責任者であったブルーノ・プラッツの息子ジャン・ギヨーム・プラッツが、総責任者としてシャトーの管理に当たっている。
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