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トップ > メドック地区 第3級のビンテージワイン > シャトー・ラ・ラギューヌ[シャトーの歴史]
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シャトーの歴史 |
ラ・ラギューヌのある一帯は、もともとガスコーニュの方言で“水場”や“小さい池”を意味する「ラギュ」という名前で呼ばれていた。15世紀末、この水場の周りでシャトー・ラ・ラギューヌの歴史が始まる。その当時は、まだ住居、納屋、中庭、庭などを作りながら小さな集落にしていくという開拓の段階だった。
18世紀になりワイン栽培を開始、1730年には邸宅も建てられた。この頃は政治的・経済的な理由から、次々と所有者が変わっていた時代となる。
1850年には、シャルル・クックが「ボルドー・エ・セ・ヴァン」の初版で、ラ・ラギューヌを3級に格付けした。1855年の格付けでは、これが公式のものとなる。
1886年、ボルドー全体がブドウの害虫「フィロキセラ」による被害に遭い、経済的な危機に直面する。しかし、そんな時にも関わらず、仲買人のセーズ氏がシャトーを購入し、大損害を被ったシャトーを元の地位にまで回復させた。世界中からの賞賛を受けながら、セーズ家はこれから1世紀半にわたって、シャトーを所有し続けた。
しかし第2次世界大戦後、敷地は数十haごとに分割され、非常に困難な状態に陥ってしまう。セーズ家は、シャトーの規模は縮小してしまったものの、かつての名声を守るために再興を図ったのだが、1956年の霜の害によって、ついに再建を諦めざるを得なくなった。
ジョルジュ・ブルネが農地再開発に取り組むことになったが、1961年に辞任。
そんな時、シャンパーニュ地方のネゴシアンで、アヤラ・モンテベロ社のオーナーのルネ・シャイヨーが、ボルドー地区のシャトーの購入を検討しており、ラ・ラギューヌの所有者となった。事前に、彼が最も信頼していた協力者ジャン・ミッシェル・デュセイエがこの地に来て、ラ・ラギューヌの土地を高く評価したためだった。彼は商談、敷地の管理(ブドウ畑の整理統合、設備や建物の改修)の責任者となり、シャトーに大きな成功をもたらした。
ルネ・シャイユーには相続人がいなかったため、ジャン・ミッシェル・デュセイエが包括受遺者となり、1979年シャトーの所有者となる。
1998年、彼は20年来補佐してくれた息子アランに所有権を譲る。アランは、アヤラ・モンテベロ社のオーナーにもなり、今なおラ・ラギューヌの運営に力を注ぎ続けている。
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