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トップ > メドック地区 第3級のビンテージワイン > シャトー・パルメ[シャトーの歴史]
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シャトーの歴史 |
1814年、フランスへやって来たシャルル・パルメ将軍は、マルゴー地区にあったシャトー・ド・ガスクを購入し、その名前をシャトー・パルメへと変更した。その後の1816年〜1831年にかけて、彼はカントナック、イッサン、マルゴーの3つの村の土地を買い続け、合計163ha(その内ブドウ畑は82ha)にまで増やした。
1823年、パルメ将軍はエリザベス・アトキンと結婚する。アトキンの協力もあり、シャトー・パルメのワインをイギリスで広めることに成功、「パルメーズ・クラレット」としてロンドンのクラブで出され、ワイン好きであったジョージ4世のお気に入りともなった。
しかし1843年、パルメ将軍は個人破産をしてしまい、シャトー・パルメを手放すことになってしまう。うどんこ病が猛威を振るった1844年〜1853年の間、シャトー・パルメは担保物件としてパリの銀行に管理されていた。
1853年、ロートシルトのライバルであった、銀行家のペレール家のイサック、エミール兄弟がシャトーを購入。その直後からすぐにブドウ畑の再管理が行われたが、1855年の格付けには残念ながら間に合わず、3級に格付けされた。現在のシャトーが完成したのは1856年のことだった。
ペレール家は、フィロキセラやうどんこ病の蔓延、第一次世界大戦などの数々の問題からもシャトー・パルメを守ってきたが、1929年から始まった世界大恐慌のため、ついにシャトーを手放すこととなってしまう。
1938年には、ボルドーでワイン商を営み、オランダ、ベルギー、ドイツ、ロシアなどに輸出をしていたマラー・ベッセ、同じくワイン商で、イギリスへのを輸出を行っていたシシェル、ボルドーのネゴシアンであるジネステ社(同社は、現在はシャトー経営に関わっていない)、購入後シャトーの管理を行うことになるエドワード・ミアーイ氏らが、共同でシャトーを購入する。
1950年から、エドワード氏からジャン・ブッテイエ氏へと管理が移り、現在はジャンの息子にあたるベルトラン氏が管理を行っている。
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