シャトー・ラグランジュは、中世に貴族のラグランジュ・モンテイル家の名とともに、広く知られる存在だった。しかし、1631年からは、複数の所有者の手に渡ることとなり、1824年には、すでに120樽(12,000ケース)を生産していたという記録が残されている。
1842年、シャトーの所有者だったルイ・フィリップ朝の内務大臣のデュシャテル伯爵は、メドックの排水設備を整えた人物だった。彼は生産量を300樽にまで増やし、1855年には、シャトー・ラグランジュは3級に格付けされた。
20世紀の初めは、経済状況が悪化した、決して華やかな時代ではなかった。数回にわたって所有者が変わっていったにも関わらず、収穫は悪く、ワインの質は悪化していった。シャトーの不振が続いたため、畑は分割されることになってしまう。1840年に280haあった畑が、1983年に買収された時には157haにまで減少していたのだ。
この時、1925年以来の所有者であるセンドヤ家からシャトーを買い取ったのがサントリーだった。ワイン業界に精通し、日本の飲料業界のトップ企業であるサントリーは、佐治敬三社長らの力により、畑の大々的な再生のための投資を行った。社長にはマルセル・デュカスを迎い入れ、ワイン作りを根本から見直し、シャトーを見事に再生させていった。