17世紀末、ジャン・バティスト・ブラネールがベイシュベルの敷地の一部を買い取ったことから、シャトー・ブラネール・デュクリュの歴史が始まる。
当時はまだワイン作りを行っていなかったのだが、1817年、彼の娘マリーがブールディュの平屋を購入。1818年には、その息子たちであるルイとジュスタンが、サン・ローラン、サン・ジュリアン、キュサックの土地を相続しする。1824年、彼らは母を迎え入れるために平屋にシャトーを造り、祖母の父の名ブラネールと名づけた。
1855年、ナポレオン3世の命により、パリ万博用にボルドーワインの格付けが行われた。ワインの仲買人たちが責任者となり、多少の変更はあったものの今日に知られている格付けを完成することになったのだが、ブラネール・デュクリュは4級と格付けされ、以前より一層高貴なものと認められるようになった。
その後、身内の中でシャトーは相続されていくことになるが、1899年、ルイ・デュリュックの妹ゼリエ・ラヴェの死後、カルボニエ・ドゥ・マルザック侯爵、ラヴェ伯爵、ペリエ・ドゥ・ラルザン伯爵という3人の甥が相続することとなった。彼らの貴族の冠が、今もなおブラネール・デュクリュのチケットの四隅を飾っている。
1919年、シャトーは売却されることとなり、ここからオーナーは何度か移り変わった。1988年、シャトー・ブラネール・デュクリュは、パトリック・マロトーの家族グループのものとなり、サン・ジュリアンの新しい歴史の出発点となった。