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トップ > メドック地区 第4級のビンテージワイン > シャトー・プリューレ・リシーヌ[シャトーの歴史]
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シャトーの歴史 |
12世紀、ヴェルトゥイユ大修道院のサン・オーギュスタンの教会参事会員によって、カントナックのサン・ディディエ小教区基金を使ってブドウ栽培が始められた。最初はわずか4haで、主にミサ用のワインを作り、ブドウ栽培と同時に食糧農産物の栽培も行っていた。これがシャトー・プリューレ・リシーヌの始まりとなった。
ここでの収穫は、カントナック村や小修道院には大いに役立ち、18世紀初頭よりメドックの住人のほとんどがブドウ栽培を始めるようになる。特に、農民や納税者が沢山住むカントゥナックでは、多くのブドウが栽培がされるようになっていった。
当時、小修道院に収められる税金は生産物の10分の1で、小修道院には消費するより沢山のワインが納められ、余分となったワインは、聖職者を通じて市場で売られていた。このため、納税格付けにプリューレの名は見られるものの、ボルドーの仲買業間では、その名は知られていなかった。
フランス革命後、所有権はボルドーやメドック在住の一族の手に渡り、修道院時代から現在に至るまで、常にワイン作りの中心となり続けた。1953年までは、ワインはシャトー・プリューレ・カントナックのラベルで製造されていた。
1951年より、シャトーは現在でも知られているアレクセス・リシーヌ氏のものとなる。彼の最大の業績は、彼の亡くなる年の1989年に、敷地をマルゴーに60ha増やしたことだろう。この拡大は1989−1999年の所有者、息子のサーシャに引き継がれた。
1999年から、シャトーはグループ・バランドによって転機を迎える。敷地に関しては大きな変化はなかったものの、醸造学者ステファン・デュルノンクール氏の協力と、ミッシェル・ロラン氏(2000年まで)の手によって、スタッフはさらに強化された。
ワインの質の向上、最良の土壌を保つよう、今なお絶えず研究が続けられている。
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