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トップ > メドック地区 第4級のビンテージワイン > シャトー・デュアール・ミロン・ロートシルト[シャトーの歴史]
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シャトーの歴史 |
18世紀の初め、【ラフィット】の成功により、ポイヤックの地はブドウ畑で埋め尽くされた。当時、ラフィットを所有していたのは、ルイ15世から“葡萄の王子”と呼ばれたニコラ・アレキサンドル・ド・セギュール伯爵。品質の良さを認められていたシャトー・デュアール・ミロン・ロートシルトのワインは、シャトー・ラフィットのセカンドワインとされた。
1830年ごろ、カステジャ家がミロンの畑の発祥の地であるマンダヴィ・ミロンを相続する。その後、隣接する畑を買い取り、およそ40haとなった畑にデュアール・ミロンの名を付けた。
カステジャ家の言い伝えによると、シャトー名にも名を残したデュアール氏とは、かつてルイ15世の武装船の船長で、定年後にポイヤックに落ち着いたと言われてる。また、1950年代までポイヤックの港には海賊の家が残されていたことから、これをラベルの原案としている。
1855年の格付けでは、畑の質が認められ、ポイヤックで唯一の第4級のシャトーとされた。19世紀後半から20世紀前半にかけてもカステジャ家の所有が続き、50haという広い畑を持つ、ポイヤックの中でも大きなシャトーの一つとなっていた。
1937年、ついに畑が売却されることになってしまう。それ以降の25年間、5人の所有者に引き継がれ、その間に畑は分割され、次第に衰退していってしまった。1956年の冷害によってシャトーは一段と低迷し、ワインの質が著しく低下することになる。
1962年、ついにロートシルト家の手に渡ったのだが、110haの土地にわずか17haのブドウ畑しかないという状態だった。そこから大々的に修復の手が入り、排水設備、ブドウ木の植え替え、畑の購入、整理統合などが行われる。新しい醸造所と発酵タンクも設置され、1973年から2001年の間に、ブドウ畑も43haから71haに広がった。
40年にも及ぶ努力の結果、ブドウの木も成長し、ようやく格付け4級シャトーに相応しいレベルに復活を果たしてきた。
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