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トップ > メドック地区 第5級のビンテージワイン > シャトー・ランシュ・バージュ[シャトーの歴史]
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シャトーの歴史 |
ランシュ・バージュは、ジロンドの主要な河口で美しい低地に位置する土地で、その名前はバージュの古い小さな集落の名に由来している。
ドメーヌは、16世紀から今と同じ広さで存在していた。納税の記録以外では、最も古いものは18世紀はじめで、仲買人のベルナール・ドゥジャンから、騎士でもありまたギュイエンヌの財政部長でもあったピエール・ドゥルイヤールがシャトーを購入した記録が残っている。
彼の娘エリザベスは、アイルランドからボルドーへの移民で、すでに裕福な仲買人となっていたジョン・ランシュ・ドゥ・ガルウェイの息子トーマス・ランシュと結婚する。1749年、ピエールの死後、バージュの敷地は自然とエリザベスとトマ・ランシュのものとなった。
30年後の1779年、彼らの息子ジャン・バティストが結婚する際に、この敷地は息子に贈与された。ジャン・バティスト・ランシュは、ルイ16世によって貴族の爵位を与えられ、一時は投獄されるなどしながらも、1810年に伯爵になり、ルイ18世のもとで封建大貴族となる。また、さらに1809年にはジロンド県会会長とボルドー市長にも選ばれている。
余りの多忙のため、彼はポイヤックのブドウ栽培を念入りに監視することが叶わず、弟の騎士ミッシェル・ランシュがシャトーを所有することとなる。そして1824年、彼はジュネーブのワイン仲買人で近年ボルドーへ移住したセバスチャン・ジュリンに所有者が移るまでシャトーの管理を行った。彼らの一族の管理のもと、1855年、ランシュ・バージュは5級シャトーに格付けされた。
その後、オーナーは何度か変わり、1934年ジャン・シャルル・カーズが所有するようになる。彼はメドックでもワイン製造に定評のある人物で、サンテステフのシャトー・レ・ゾルム・ドゥ・ペズの所有者でもあった。彼は35年間にわたってワイン栽培に力を注ぎ、ランシュ・バージュの評価を大きく高めていった。
1972年、95歳で亡くなった彼の後を、息子アンドレ・カーズ(1947−1991年までポイヤック市長)と孫のジャン・ミッシェル・カーズが相続し、現在に至っている。
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