1600年代、バスク地方出身のソシオンド家は、当時のバイヨンの大司教の援助を得て建てられたアスカンの邸宅に住み、サン・スーラン・ド・カドゥーンに貴族の土地を所有していた。シャトー名となっている「ソシアンド」は、このソシオンド家のスペルミスから生まれたものだ。
それ以降、フランス革命までの間の歴史は明らかにされていない。しかし、1793年の国民公会で拘束された、ボルドーの弁護士でもあり、後のボルドー市長ともなるギヨーム・ブロションが、かつてここに住んだと言われている。市内の通りの名前として彼の名が残されているほどの有名人であった。
19世紀の半ば、マダム・マレがこの地を購入した。この時代、マレ家の一員だった船長が、長い航海の合間にシャトーの栄光を詩に書きとめ、「マレ」の名がシャトー名に付け加えられた。
その後、1876年から現在に至るまで、複数の所有者によって引き継がれてきている。
1969年、ジャン・ゴトローがこの地を手に入れたときには、わずか5haほどの畑と、荒れ果てたシャトーの建物のみが残されている有様だった。しかし、彼の尽力により、現在では125haの敷地に95haの畑を持つほどにまで復活を遂げてきている。