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トップ > グラーヴ地区 特選のビンテージワイン > ドメーヌ・ド・シュヴァリエ[シャトーの歴史]
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シャトーの歴史 |
ドメーヌ・ド・シュバリエに関しては、17世紀の資料には、すでにこの地にブドウ畑、醸造設備などがあったことが記されている。この名前は、この土地がスペインの世界遺産「サンジャック・ド・コンポステーラ」へと続く巡礼の道沿いにあり、シェバリエ(フランス語で“騎士”を表す)とされたのが由来となっている。
1865年、シャトーは樽職人であったアルノー・リカーとその息子であるジャン・リカーが購入する。この頃は、南西フランスでは一般的だったように、放牧や穀物栽培などで生計が立てられており、ブドウの栽培はその副収入と考えられていた。
アルノー・リカーが他界、ジャン・リカーが引き継ぐと、彼はその土地の良さを見抜き、ワイン売買のビジネスで得られた莫大な収入で隣人の土地を買い取り、15haまで畑を拡大した。ある意味では彼がドメーヌ・ド・シェバリエの本当の創設者だと言えるかもしれない。
1881年のボルドー・エ・セ・ヴァンには、「このシャトーのワインは、、、その上品さはブドウ畑によってもたらされ、ブドウ畑は美しい色合いのワインを造らせる」と記されてた。
1900年、ジャンは他界するが、ドメーヌは彼の娘婿ガブリエル・ボーマルタンが引き継いだ。彼はジャンと同様に事業で成功を収めており、木材の国際売買でさらに莫大な財産を築きあげた。
彼は、その後40年間にわたって責任者の地位にとどまるが、販売はネゴシアンに任せ、自らの信用を活用することで、このシャトーの知名度を上げていった。さらにブドウ畑も18haまで拡大させ、次第にシャトーはグラーブ地区の中でも最も評価の高いシャトーの一つとして数えられるようになっていった。
1940年に彼が他界した後、彼の娘婿ジャン・リカーがシャトーを引き継いだが、管理は全て彼の従兄弟マルセル・ドトルルーが行った前任者が維持してきたワインの品質を守り、1940年代の数々の素晴らしいビンテージを生み出した。
1948年、ジャンの息子であるクロード・リカーが、21歳になったのをきっかけにシャトーを引き継ぐ。パリの音楽大学を卒業したばかりの聡明で完全主義者であった彼は、ワインの品質をさらに高めていく努力を惜しまなかった。新しい醸造設備を導入し、収穫の際の選果を徹底させた。また、1957年からは赤ワインのマロラクティック発酵を毎年行うようにと、シャトーを次第に改善していった。
1950年からはペイノー教授の協力を得て、特に白ワインの品質が向上し、シャトーのより一層の飛躍への弾みとなった。
1983年、大手の蒸留酒製造企業を所有していたベルナール家がこのシャトーを買い取り、当時23歳であったオリビエ・ベルナールが総責任者となる。彼は2年間、ブランクフォールにある農業学校に通い、ボルドーの醸造学研究所でワイン作りについて勉強を行った。その後、クロードと一緒にドメーヌ・ド・シェバリエのワイン作りに携わり、現在ではオリビエ・ベルナールが総責任者となってワインを造り続けている。
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