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トップ > グラーヴ地区 特選のビンテージワイン > シャトー・パプ・クレマン[シャトーの歴史]
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シャトーの歴史 |
シャトー・パプ・クレマンの名は、高名な所有者の名前に由来している。
1264年生まれの聖職者だったベルトラン・ド・ゴは、ピレネーのコマンジュの司教となり、1299年にはボルドーの大司教となった。その際に、ぺサックの“モット”と呼ばれるブドウ畑が領地として与えられたのだ。彼は、ブドウ畑に魅せられ、当時、最も合理的で近代化された方法に従って設備を整え、領地の経営を行った。
しかし、1305年、教皇ブノワ11世がこの世を去った後の教皇選挙会議によって、ベルトラン・ド・ゴは「教皇クレマン5世」となった。ところが、あまりの激務のため、領地のブドウ畑はボルドーの大司教館へ譲り渡すことを余儀なくされてしまう。それ以来、この地は賢明なクレマン5世の名をとり後世へとその名を残している。
彼の意志を継いで、代々の大司教たちはワイン作りの近代化と技術の革新に励み、その時代の模範的な畑を作りあげた。早期の収穫をするのは、その当時からのシャトーの特徴であった。また、耕作の簡易化を図るためにブドウの幹を一列ごとに区別したのも、フランスではこのシャトー・パプ・クレマンが最初だった。
18世紀の終わりになると、ボルドーの大司教は財産を没収されてしまい、領地は民間のものとなった。複数の所有者に引き継がれていく間、ブドウ畑にはうどん粉病・べと病・フィロキセラなどの被害にあう。
1858年、シャトー・パプ・クレマンは、ボルドーのワイン商ジャン・バプティスト・クレールが購入する。彼はワインの質をより一層高め、ジロンド農業組合からは金賞を、さらに1878年の万博では、農務省より大賞を受賞する。
1937年、ひどい雹により領地のほぼ全域において大きな被害を受け、その2年後、シャトーはポール・モンターニュの手に移った。彼は領地の都市化に対する圧力に耐え抜いて再建に取り組み、シャトーを再び名門の名に恥じないようなレベルにまで再生させた。
その後、後継者のレオ・モンターニュとベルナール・マグレによって、シャトーの伝統が引き継がれている。
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