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トップ > サンテミリオン地区 第1特別級Aのビンテージワイン > シャトー・オーゾンヌ[シャトーの歴史]
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シャトーの歴史 |
“オーゾンヌ”という名前は、4世紀のガロ・ロマン時代にこの地に住んでいたと言われる詩人・学者の「デシミュス・マニュス・アウソニウス(フランス語読みではオーゾンヌとなる)」にちなんでいる。
実際には、その住居がシャトー・オーゾンヌであったのか、最近発見されたシャトー【ラ・ガフリエール】にある“パレ”と呼ばれる遺跡のところに住んでいたのかなど、現在でも詳しく分かっていないのだが、彼がこの辺りにブドウの樹を植え始めたと考えられてる。
その後、オーゾンヌのブドウ畑について残っている最も古い資料は、1341年、レスコート家の所有だった時代のもの。その名前がオーゾンヌと呼ばれだしたのは、1592年からのことだった。
畑を所有していたレスコート家から、1606年、樽製造者であったピエール・シャトネが畑の一部を借り受けた。その後、彼とその息子は少しずつ畑を買い増ししていく。
1769年、シャトネ家のジャンヌ・シャトネがジャン・カントナと結婚し、二人はオーゾンヌの土地およびブドウ畑を相続した。1795年〜1810年の間、ジャン・カントナは何人かの所有者から畑を買い集め、1820年に単独のオーナーとなる。現在のオーゾンヌは、この時に買い集められた畑が元となっている。
その後、姪であるシャロンがシャトーを引き継ぎ、エドワード・デュボワと結婚したことから、デュボワ・シャロン家と名前が変更になる。
この頃から、オーゾンヌのワイン知名度は飛躍的に上昇し、【シュヴァル・ブラン】と並んで右岸の2大シャトーとなった。
エドワードとシャロンには、ジャンとセシルという2人の子供がいた。セシルがヴォーティエ家に嫁入りしたことで、シャトーはデュボワ・シャロン家とヴォーティエ家の共同所有となった。このセシルとその夫が、現在のオーナーであるアラン・ヴォーティエの祖父母に当たる。
その後、シャトー・オーゾンヌは一時期深刻な不調に陥ってしまう。1974年に所有者一族のアラン・ヴォーティエがオーゾンヌへ入り、その翌年には、醸造家のパスカル・デルベックを招いたことから、ようやく以前の品質を取り戻し始めた。
1996年、パスカル・デルベックが隣のシャトー【ベレール】に移ったことから、現在の所有者であるアラン・ヴォーティエが、醸造も含めて全ての管理を行うようになり、今日に至っている。
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