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トップ > サンテミリオン地区 第1特別級Bのビンテージワイン > シャトー・フィジャック[シャトーの歴史]
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シャトーの歴史 |
シャトー・フィジャックの土地は、ガロ・ローマンの時代にフィジャキュスが別荘を建て、自分の名をつけたのが由来になっている。その歴史は非常に古く、何と「2世紀」には存在していたことが知られており、当時の用水路が現在でも残存しているそうだ。
中世に入って、14世紀には所有者はレスクール家からカーズ家(ドゥカズ)、さらに結婚によってカルル家へと代わる。当時のカルル家は、国や市の活動に参加しており、その息子は1694年、ルイ14世によってサンテミリオンの永久の市長に任命されるほどの名士だった。また事業家としても大成功を収め、当時としては珍しく、銀行家・仲買人・ブドウ栽培者などを兼職していた。
フィジャックも高い評価を得て、18世紀末には200haからなる広大な面積を誇っていた。
しかし、19世紀初頭、大陸封鎖やリブルヌの不況にも関わらず、未亡人になった伯爵夫人カルル・トラジェは贅沢な暮らしを続けてしまう。このため彼女は、林や肥沃な土地・ワイン用の砂利層の丘・池・立派な大きな邸宅を含むサンテミリオンの広大な土地の分割を余儀なくされた。ドュカス氏やルベル家・ラヴェヌ家などが所有者となり、50年間の間に5回も所有者が代わることになった。
1892年には、今の所有家であるアンドレ・ヴィルピグ(県庁パリ支部長)の妻の手へ渡った。1947年には、その孫のティエリー・マノンクールがフィジャックの責任者となり、妻と一緒にパリを離れてこの地に移住してくる。
1世紀にわたって見捨てられていたような状態が続いていたシャトーは、ここでようやく輝きを取り戻し、熱心な農業技師の手によって再び上質なワインを生み出し始めた。
1971年には、地下を6m掘り起こし、当時の新聞に「サンテミリオンのファラオ」と呼ばれた広大な石造りの貯蔵庫を造る。また【オー・ブリオン】や【ラトゥール】に続いて3番目にステンレスタンクを導入するなど、近代化にも積極的に取り組み、その品質には高い評価が集まっている。
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