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トップ > サンテミリオン地区 第1特別級Bのビンテージワイン > シャトー・パヴィ[シャトーの歴史]
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シャトーの歴史 |
オーゾンヌや“パヴィの丘”の斜面に、初めてブドウの樹が植えられたのは4世紀ごろのことだった。シャトー・パヴィはサンテミリオン地区でもよく名の知られたシャトーで、18世紀までは沢山の「パヴィ(桃の一種)」を収穫していた。
この土地の最初の持ち主として知られているのはタルマン家だった。1850年より、パヴィはサンテミリオンの1級シャトーとして「コック・エ・フェレ」に掲載されている。しかし、そこにはタルマン家だけではなく、アドルフ・ピガス氏、ラフルール氏、シャプス氏も所有者として名を連ねていた。
彼らの中で土地の売買を繰り返していたが、1885年、ボルドーの仲買人フェルディナン・ブーファールがタルマン家の土地を購入する。その6年後には他の所有者の土地も買い足し、約50ha、125〜150樽を生産可能な規模にまでパヴィを拡大していった。
ドメーヌはパヴィの名の下に強化されていったが、ブーファールは、以前ピガス氏が所有していた土地は別に管理しており、それが現在のシャトー【パヴィ・デュッセス】となる。その他にも、以前シャプス氏が所有していた土地はマッカン氏に売却し、それが後のシャトー【パヴィ・マッカン】となる。
19世紀末、フィロキセラが猛威を振るい、フェルディナン・ブーファールのそれまでの努力を無にしてしまうが、彼のブドウ栽培の豊富な経験によって、かろうじてこの危機を乗り切った。
しかし、第一世界大戦後から1943年まで、パヴィはアルベール・ポルトの所有となり、その後さらにパリの仲買人アレキサンドル・ヴァレットへと所有権が移っていった。彼は60年にわたる長期の植え替え計画を立て、それを実行に移した。
1954年、サンテミリオン地区の格付けが行われ、見事に「第1特別級B」に格付けされた。
1967年より、アレキサンドルの孫ジャンポール・ヴァレットは、栽培地を開拓し、ワインは中世の石切り場跡の地下洞窟に保存されるようになる。ここは深く、湿度も十分にあり、この地域でも大きな貯蔵庫の一つだった。
1998年3月、ジェラール・ペレスとシャンタルがパヴィの所有者となった。早速その年の8月から建物の改修が始まり、1923年製の古いタンクも、温度調節のできる木製タンクに置き換えられた。
また将来を見越して、1974年に53樽のワインを巻き添えにして一部が崩壊してしまったような古い樽貯蔵庫を取り壊した。新しい樽貯蔵庫は、サンテミリオンでは革新的な作りで、1999年の収穫時に初めて使用されることとなった。
同時に、ブドウ栽培の見直しも徹底的に行われた。ブドウの株を25%植え足し、出来の良くない株を植え替え、土壌の“ドレナージュ(排水性を良くする作業)”や醸造設備への導水工事なども行った。
現在、ジェラール・ペレスが行っている改革は、19世紀のフェルディナン・ブーファールの偉大な業績と比較して語られることも多い。これも彼が行っていることの革新性の表れだと言えるだろう。
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