|
|||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||
|
トップ > サンテミリオン地区 第1特別級Bのビンテージワイン > シャトー・アンジェリュス[シャトーの歴史]
|
||||||||||||||||||
|
|
|||||||||
シャトーの歴史 |
1790年頃、サンテミリオンの町は、全て塀の中に囲まれていた。サンテミリオンの南西に位置する「サン・マルタン・ドゥ・マゼラ」は、ヴィルモーリヴ、ベルガ、ル・パラ、オーゾンヌ、マグドレーヌといったコミューンを含む、町の主要部だった。
アキテーヌのアリエノールの時代に建てられた、ロマネスク様式の教会「マゼラ礼拝堂(Chapelle de mazerat)」も存在していた。
16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者であるモンテーニュがボルドー市長を勤めていた頃、ボルドーで流行したペストから逃れて、サン・マルタン・ドゥ・マゼラに滞在したことでも知られている。
シャトー・マゼラ(現在のアンジェリュス)は、チャペルから数十メートルの所にあるサン・マルタンの傾斜の底部に位置している。
この約6haという小さな敷地は長い間、スーフラン・ドゥ・ラヴェルニュ家のものだった。1865年などの参考資料や所有者証明書は非常に状態が悪いため確認できないが、1692年のものに彼らのことが記載されている。
またこの地は、ブーアル家とかかわりを持つようになる。4代目ジャン・ドゥ・ブーアルはボーヴォー中隊のヴェルサイユのボディーガードで、彼の子供の一人ミシェル・ベルトランも王のボディーガードだった。また一人娘のカトリーヌ・ソフィーは、ラヴェルニュ家のシャルル・スーフラン・ドゥ・ラヴェルニュと結婚した。
彼らはサン・マルタン・ドゥ・マゼラやリブルヌのサン・トマ通り(現在のクレマン・トマ通り)6番地に住んでいた。彼らもまた何人かの子供に恵まれ、そのうちのひとり、ジャック・ジェルマンはシャルルという1人息子をもうけた。リモージュの銀行家になったシャルルは、ウージェニー・シャトゥネと結婚する。
1888年彼が亡くなり、相続人のいなかった彼らは、1910年5月9日のウージェニー(現所有者の叔母)の死後、ブアール家に所有権を遺贈した。
それ以降、シャトー・アンジェリュスはブアール家によって管理され、現在に至っている。
|
オールドビンテージ・ドットコムは、チーズの専門店「オーダーチーズ・ドットコム」、チーズスクール「東京チーズアカデミー」と
|
||||||
|
||||||