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トップ > ポムロール地区 特級クラスのビンテージワイン > シャトー・ペトリュス[シャトーの歴史]
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シャトーの歴史 |
ペトリュスの名前の由来ははっきりとは分かっていないが、19世紀頃、当時のオーナーのアルノー家によって名付けられたようだ。当時のラベルには「Ch Petrus-Arnaud」と書かれていた。当時は土地の名前、所有者の名前が付けられることが多く、その名前の意味は、17世紀頃のこの辺りの小部落の名前だったと考えられている。
ラテン語であるペトリュスは、英語ではピーター(Peter)、フランス語ではピエール(Pierre)となり、“石”という意味があると同時に、キリストから天国への扉の鍵を渡された、十二使徒の長である聖ペテロという意味がある。
ペトリュスの名前が、歴史上に登場したのは1837年のタステ・ロートン社の文献であるが、それ以前からもワインが作られていたと考えられている。
1889年、パリで開催された博覧会で金賞を獲得したことにより、その名が次第に知れ渡るようになった。
当時のオーナーであるアルノー家は、20世紀の初頭、6.5haの畑を所有していたペトリュスを“Societe Civil de Chateau Petrus”という会社組織とした。第一次世界大戦頃には、すでに高級なワインを作り出すシャトーとしてその名前が知れ渡っており、メドックの2級シャトーのワインと同等の価格で取引されていた。
1925年から、リブルヌの駅前でレストランを経営していたマダム・ルーバがペトリュス株を購入し始め、第二次世界大戦の頃に全ての株を取得し、単独オーナーとなる。ルーバは多大な努力によってワインの品質を高め、その結果メドックの1級並の価格で取引されるようになっていった。
1947年から、ワインの販売をジャン・ピエール・ムエックスに依頼し始め、1949年からは彼に全ての販売を託すようになる。
1961年、マダム・ルーバは死去。彼女は子供がいなかったため、姪であるリリー・ラコストと甥であるロベール・リナックにペトリュスは引き継がれる。
1964年、ロベールは彼の持分であった株式(全体の49%)をジャン・フランソワ・ムエックスへと売却する。同年には、醸造家として有名なジャン・クロード・ベルエがムエックス社に入り、ペトリュスのワインを造り始めた。
1969年、リリーが所有していた全体の51%に当たる株式は、ムエックス社に売却される。しかしこの際に、ペトリュスの不動産はジャン・フランソワの手に渡りましたが、51%分の使用収益権は彼女の手元に残していた。
この年、隣接するシャトー【ガザン】から6.5haのブドウ畑を購入し、合計11.5haまで畑を拡大した。
2001年、リリーは51%分の使用収益権もムエックス社とへ売却し、ムエックス社がペトリュスの完全な単独オーナーとなり、今日に至っている。
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